自分のブログなのに大変ご無沙汰しておりました、みかづき(@trickwolves)でございます。
私は物心がついた時から動物が好きでしたが、そんな私が動物保護に強い関心を抱き、野生動物を守らなければいけないと思ったのは高校の図書館にあった「絶滅動物誌」という本がきっかけでした。この本を読み、人間の活動によって多くの動物が絶滅し、また絶滅しかけている事を知った時の衝撃は言葉に表せない程でした。
そして個人で動物を守ろう!という情報を発信するようになったのですが、多くの方が「知らなかった」と言ってくださる中でときおり「動物は進化の過程で進化や絶滅を繰り返してきた、人間の活動で絶滅する動物がいるのならばそれも運命・必然なのでは?」と言う方にも出会うようになったのです。
確かに、その方の主張も一理あると思います。地球の長い歴史の中で人間という動物が誕生し、その動物が生きる過程で他の動物が滅びるというのはある種自然なことであり、一種の淘汰と言えるのかもしれません。
それでも私は野生動物を保護したいと、保護すべきだと考えています。今回の記事では何故私がそう思うのか、ざっくりと4つの項目に分けてお話していこうと思います。
なおこの問題については数年、十数年単位でずっと考えていますが、いまだに結論を出しきれていません。そのためここに記すのは“現状の私の考え”となります、ご承知おきください。
動物はみな繋がって生きているから
自然界ではざっくりと
植物が生える→植物を草食動物が食べる→草食動物を肉食動物が食べる→微生物が死体を分解し養分などを作り出す→作り出された養分や二酸化炭素などを利用して植物が生える…
という生命のループがぐるぐると循環しています。
それでは特定の動物の数が減ったりいなくなったりして、この循環がどこかで途切れてしまうとどうなるでしょうか?
現在の日本ではハンターの減少と高齢化に加え、かつて生息していた「ニホンオオカミ」が絶滅したことによりシカやイノシシの数が増えすぎてしまいました。そして増えすぎたシカやイノシシが貴重な植物を食べつくして景観が荒れてしまう、農作物を食い荒らして農家さんに金銭的な被害が出るといった被害が出ています。
もちろんシカやイノシシが激増してしまった原因は“オオカミが絶滅したこと”だけではありませんが、それも1つの要因だあるだろうと考えられています。この事例から動物が1種類でもいなくなると他の動物にも多大な影響を及ぼすこと、その影響は私たち人間にも及んでくることがわかります。
野生動物から得られる有用な知識があるから
野生動物たちは常に食料があるとは限らず、常に天敵に狙われるような厳しい環境の中で日々を生き抜いています。その中で動物たちが身に着けた技術や身体的特徴は時に私たちの想像をこえ、私たちの生活に役立つことがあります。
例えば1990年に「最高速度300キロの新幹線を開発する」というプロジェクトがありましたが、走行実験中に騒音が問題になったそうです。その問題を解決してくれたのは、フクロウの羽根にあったギザギザなのだとか。フクロウが音も無く飛ぶことからヒントを得たのだそうです。
そして同じく新幹線のお話ですが、新幹線の先端の形状はカワセミのクチバシをヒントにしているのだとか。フクロウとカワセミがいなかったら、今の新幹線は生まれていないかもしれません。
参考資料:
形態・構造をまねる — ふくろう・カワセミに学ぶ
野生動物から得られる利益があるから
また現代においても、漁業や狩猟のような直接的に野生の動物を捕獲・利用する事例は少なくありません。
野生動物を捕獲することは大変な労力を必要とする上、何かと危険が伴います。しかしウシやブタといった家畜と異なり、育てる手間やコストがかかからないという一面も持っています。そのため計画的に利用する、という前提さえ守れば野生動物は持続的に利用できる資源として私たちの生活に大いに利益をもたらし、役立ってくれる存在となってくれるのです。
またある種の動物や植物には薬効があり、漢方薬の原料として用いられています(例:クマの胆のう由来の生薬「熊胆」、マムシを乾燥させた「反鼻(ハンピ)」など)。
地球上には約870万種(現状名前が付けられているのはなんとたったの137万種!)もの生き物がいると考えられているので、この先今まで知られていなかった薬効を持つ動物や植物が見つかるかもしれません。その結果、これまでは不治とされていた病気の特効薬が作られる…なんて可能性もあるのではないでしょうか。
二度と会えないという事実が悲しいから
ここまでは理屈っぽいお話ばかりでしたが、最期は感情的なお話です。
残念なことにこれまで多くの動物が絶滅してしまったのですが、その中にはとても変わった動物たちの姿がありました。いくつか例を挙げていきます。
まずはかつてオーストラリアのタスマニア島に生息していた「フクロオオカミ」。別名タスマニアタイガーとも呼ばれるこの動物はお腹に袋がある有袋類1種で、さらに有袋類の中で唯一の大型肉食動物のポジションだった動物です。フクロオオカミは家畜を襲うという理由から虐殺され、1936年には地球上から姿を消してしまいました。
次は南アフリカに生息していたシマウマの1種、「クアッガ」。シマウマなのに縞があるのは体の前半分だけ、後ろはウマのような茶色という非常に面白い動物です。そんなクアッガは肉を食料に、皮は靴や袋などにするために大量に乱獲され、1883年に絶滅しました。
最後はアフリカのマダガスカル島に生息していた巨鳥「エピオルニス」。エピオルニスは頭から脚までの高さが3~4m、体重は400~500Kgもあったのではないかと推測される、非常に大きな飛べない鳥です。今の地球上で最も大きな飛べない鳥、ダチョウの体調が2~3m、体重が100~160Kg程度であることを考えると、いかに大きい鳥だったかがわかりますね。そんなエピオルニスは森林伐採をはじめとした生息地の環境の変化、そして狩猟によって数を減らし、17世紀には絶滅してしまいました。
絶滅してしまった動物はとても多いのですが、今回はその中でも私が「特に実際に見たかった…!!」と思っている動物を3種挙げてみました。私はかつてこの地球上にこんな不思議な動物たちがいたことを面白いと思うと同時に、その動物たちに会えないことがとても悲しく、寂しいと思うのです。
感情論ではありますが、「二度と会えない動物をもう増やしたくない」という気持ちも、立派な動物を保護する理由の1つになるのではないでしょうか。
まとめ
さてさて、長々とお付き合い頂きましてありがとうございました。
以上がかつて飼育員だった私が、2022年10月現在の私が、「野生動物を保護すべき」だと思う理由となります。
1つでも「なるほど」「それも一理あるなぁ」と思ってもらえることがあれば嬉しいですし、この文章を読んで「確かに動物を保護すべきだな」と思ってもらえたならばまさに有頂天、天にも昇る気持ちです。
令和は人間と人間が争い、戦争が起きる時代です。自分の利益のためだけに平気で人を騙し、殺めた人の話がニュースで流れても「ふーん」「またか…」で消費されてしまう世界です。
人間に思いやりを向けられない人間が少なくないことを考えると、動物にまで思いやりを向けられる人間はそう多くないのかもしれません。それでも同じ地球に生きる動物たちに目を向け、彼らに思いやりを向ける人が1人でも増えたらいいなぁ…などと願ってやまない私なのでした。