こんばんは、三日月(@trickwolves)です。
ブログを書く気力もなく日々ぐったりすごしております、給料以上の仕事はしたくないのですが…。今日は仕事をしながら思ったことを記事にします。
小さい頃から動物園の飼育員になりたかった
ふと「自分はいつから飼育員になりたかったんだろう…?」などと思い、自分の記憶を掘り返してみました。
小学校低学年の時の夢
道徳の授業だったか、文集だったか定かではありませんが、何かの機会に「しょうらいのゆめ」を書くことがありました。
その時の事は割とはっきりと覚えているのですが、私は「けーきやさん」「おはなやさん」と書きました。
キラキラしていて食べたら幸せな気持ちになるケーキを売るケーキ屋さん、見たら楽しい気持ちになるお花を売るお花屋さん、そんな仕事に憧れを抱いていました。これはきっと小学生らしい夢だったと思います。
小学校高学年の時の夢
記憶がややあいまいですが、この頃からうっすらと「動物関係の仕事につきたい」という夢を持ち始めていたような覚えがあります。
我が家では私が小学校高学年の時、両親が離婚しました。直接の原因は父親の不倫でしたが、完全に離婚に至るまでの日々は連日家の中に怒声と罵声が響く、なかなかやんちゃな環境でした。
悲しいことに私は小さい頃から父親っ子で、母親より父親の方が好きな子供でした。そんな私が不倫という形で家族を裏切った父親に対する憎しみと恨みはとてつもないもので、大人になってもこの時抱えた闇はずっとずっと私の心を苛んでいました。
「私は父親にとっていらない存在だかったから捨てられたのだ」、「ならばいっそ子供など作らなければよかったのになぜ産んだのだ、ふざけるな」とずっと憎らしく、いっそ父親なんて死んでしまえばいいのにとまで思っていました。
母親に引き取られた後も母親に「お前なんて産まなければ良かった」「育て方を間違えた」「父親にそっくりだ」という言葉をしょっちゅう浴びせられました。父親が憎らしくて父親なんて死んでしまえとまで思っていたのに、その父親に似ていると言われること自体がとても堪えた覚えがあります。そんな環境の中、唯一頼れるはずの存在である母親に心の底から頼ることもができずに育つことになってしまったのでした。
中学生の時の夢
中学生になった私の「将来の夢」は、「動物園の飼育員」か「保母さん」になりました。
トンデモ環境で育つ中、思春期を迎えた私はどんどんと心を歪めてしまいました。そして簡単に人を裏切り、簡単に人の心を殺す言葉を吐く人間という生き物がとてつもなく嫌いになってしまったのです。
しかしそんな歪んだ心の持ち主でも、動物と子供には”好き”という感情を持っていました。特に動物を飼っていた訳ではありませんが、動物のことが大好きでした。
今考えてみると、当時は”好き”というより”その潔い生き方に強い憧れもしくは、尊敬の念を抱いていた”のかもしれません。生きるか死ぬか、食うか食われるか、そんなとてもシンプルな生き方をしている動物のことが当時の私の目には非常に好ましく映ったのです。
そしてそこから動物と共に生きたいと思うようになり、動物園の飼育員を目指す日々がスタートしました。
高校生の時の夢
高校生の時の夢は、「飼育員」か「イラストレーター」でした。
当時から動物が好きだったのはもちろん、動物のイラストを描くことも好きでした。大学に進学して動物関係に進むか、専門学校に進学してイラストの道に進むか…どちらの道を選ぶか大分悩んだ覚えがあります。
そして悩みに悩んで動物関係に進むことを決め、大学へ進学し豚やら山羊やらと暮らす4年間を始めることとなったのでした。
イラストの道は一度人生という道の脇に置きましたが、この時から抱いている「いつか本の挿絵を描く」という夢はまだ諦めていなかったりします(笑)
大学生の時の夢
大学生の時の夢はもちろんというか、ぶれずに「飼育員」でした。
しかし今になって冷静に考えると、飼育員になりたいと言いながら当時の私には圧倒的に情熱が足りませんでした。4年もあったのだから、もっと熱くなれば良かったのにな…と思います。今更ですが。
そんなこんなで大学生までは「人間嫌い」を引きずっていたのですが、大学生の時から社会人に至るまで色々な人と出会い、別れ、付き合い、すれ違いをくり返していくうちにいつの間にか人嫌いが良い感じに治っていました。
私の場合はたまたま運良く、良い友人に恵まれたのが大きかったです。私の場合は本質的に人が嫌いだった訳ではなく、環境によって人嫌いになっていただけだったようです。
人嫌いが治った後に飼育員になれたけれど
現状飼育員という仕事をしていて、動物と過ごすことが出来る日々はとても楽しいです。
とても楽しいけれど、動物に自分の全て(時間もお金もなにもかも)をつぎ込むことは私には出来なさそうです。
同僚は自分のことより人間のことより何より動物を最優先して日々を過ごしていますが、私には到底そんなことが出来そうにないのです。
※同僚は無賃金の早出残業当たり前、休日出勤当たり前、自分のお金で備品を飼うのが当たり前という感じで持てる全てを動物につぎ込んでいます。私にはムリだ…。
私にとって飼育員は実際に眠った時に見る夢にまで見た夢です、どうしてもやりたいと思った仕事です、それでもそこまで熱くなれないのです。
そんな日々の中、ふとした拍子に同僚が「人間なんてきらいだ…」とぽろりと、本当に小声で零しました。
その言葉を聞いた瞬間、「ああ、もしかしてあの時の私は人間嫌いだったから飼育員になりたかっただけなんじゃないか…?」という思いが浮かび、そしてそれがストンと自分の胸の中に落ちたのです。
私の場合は飼育員の仕事がしたかった、という気持ちよりは人間と関わりたくなかったから飼育員になりたかった、という気持ちの方が強かったのかもしれません。
そして人間嫌いが治った今、「超絶安月給・3K・不定休」などの条件をのみ込んでまで熱く夢中になれないのはそういうことなのかもしれません。
動物は可愛いです、仕事は楽しいです。家では到底飼えない、この仕事でなければ関われない動物たちと過ごす日々は本当に貴重で有意義な時間です。
それでも、それでも。
もっとお金が欲しいし全うに評価されたい
動物のこと以外も考えたいし趣味も楽しみたい
そう思ってしまう私は、きっと飼育員失格なのでしょうね。
今の仕事について半年。納得できないことや理不尽なことは山のようにありつつも、それでも飼育員という仕事に取り組む時間は、私にとって文字通り夢のような時間でした。
それでももう、何か月も何年もこの仕事をし続けることは私にはできそうにもありません。少なくとも私はこの安月給で、「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることが出来ないのです。
※お給料に関しては以前こんな記事を書いていますのでよかったらご覧ください。
終わりに
現状は今年の夏までに転職する計画を立てています。しかし転職が成功したとしても、現代日本の抱える闇を垣間見ることが出来た、本当に本当にド底辺のお給料の仕事を通して見えたものや得たものは忘れずにいたいものです。
今日はここまで。