ある時ふと、恐らくほとんどの人は幼稚園や小学生の頃は将来の夢を持っていたんだろうと思い、夢と言うものは一体どこから湧いてくるのかと考えるに至りました。
成長するごとに変わっていく夢と言うものの中身
小さい頃は実現できるかどうかなんて考えもしない、本当にキラキラしたそれこそ「まさに夢である」という夢を抱いて、それを恥ずかしげもなく口にしたりあるいは文集に書いたりしていた人も多かったのではないでしょうか。
今思い返せば小さい頃はお嫁さんになりたいと言っていた子がいて、お花屋さんやケーキ屋さんやアイドルになりたいという職業にあこがれを抱いている子がいて、ヒーローになりたいという子がいて、果ては世界征服をしたいと書いてる子もいたような気もします。
中学生になって少しずつ大人の階段を上ると「夢を語る事」がなんとなく少しずつ気恥ずかしくなってきて、あるいは周りの人にばかにされたり現実を見ろと言われたりして、キラキラしていた夢が段々現実をまとって輝きを失っていって。
高校生になったら更に現実が現実味を帯びて迫ってきて、やれ受験勉強だやれ就活だのと世間の流れに流されてしまって、夢なんてものはないと言っている人も見かけるようになったような、気もします。
夢って一体なんなのでしょう
仕事は生活の糧を得る為だけのものである、夢なんてものはないと言う人がいます。
それも一つの生き方であって、そうきちんと割り切れる強さが私にはすごく眩しい。
夢を追いかけたけどいつまでたっても諦められなかったけど結局叶わない人もいます。
それでもその人の人生だから、ぶれない強さを持てるのがうらやましい。
夢を追いかけているうちに他の夢を見つけて改めて追いかける人もいます。
この道で生きていくんだ!と思えるものに出会った人のことは心の底から羨ましい。
人生何があるか本当にわからないものだと強く強く思います。
夢と言うものは一体なんなのでしょう、こいつの正体は何者なのでしょう。何かのきっかけを元に、あるいはいつの間にか頭の中に住み着いて離れない、ある時は楽しくてある時は辛い、「夢」というやつの正体は一体なんなんでしょう。
夢を持つことは楽しくて、そして辛い
私は期間限定ですがうっかり夢を叶えることができました。
今年になってようやく、中学生くらいからずっと夢見ていた、動物園の飼育係になる事ができました。なぜこの職に就きたいと思ったのか、最初のきっかけは覚えていません。覚えていませんが気づけばこの夢はずっと私の心の奥底に住み着いていて、どんなに諦めようと思っても諦めさせてはくれませんでした。
大学を卒業してからずっとずっと、思い描いていた夢が叶えられずにいた間はあんまり人に言わなかったけれど本当に本当は相当息苦しかったです。大学まで行かせてもらって、倍率の高い研究室に抽選でなんとか入り込めて、研究室の教授の力添えで上野動物園に実習に行かせてもらって、実習先でもすごく良くしてもらって…たくさんの人の力を借りたのに応援して貰ったのにそれをかなえられなかった自分のふがいなさと力の無さがとても辛かった。
なんであんなに苦しかったのに諦められなかったんだろう。夢ってやつはなんでこうも苦しくても簡単に消えてくれないんでしょうね、姿も形も見えないくせにおかしなやつです。
このところ全く違う場面で友人何人かに「夢があるだけ羨ましいよ」と言われました。全く違うジャンルの友人、全く違うに日同じことを言われてびっくりして、それからその言葉がずっと頭に残っていました。
夢があるのは楽しいです、でもその分辛いこともあります。
私も期間限定のこの夢が終わってしまったら、次につながらなかったらきっとまたしばらく苦しむでしょう。それでも1度だけでもやりたいことをやれただけその苦しみも和らぐとは思いますが。今は本当に文字通り日々の生活が夢見心地です。
夢を叶えたがゆえにこんなはずじゃなかったと苦しむ人もいるでしょう。
人を振り回すこの夢という謎の存在、一体全体どこから湧いて出てくるんでしょうね。そしてなんでこんなに強いのか。どうして簡単に消えてくれないのか。答えがあるのならば私は切に知りたいです。