動物について

たくさんの動物を手にかけ、殺してきた人間のお話し

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三日月(@trickwolves)です。

突然ですが貴方は動物を殺したことはありますか?

私はあります。両手両足では数え切れないほどの動物を直接自分の手にかけ、また間接的に死の淵へ追いやりました。私は人より多くの業を背負っています。



大学の授業で見た命が消える瞬間

大学1年生の時に牧場実習があり、その中で授業の一環として学生の目の前で鶏を1羽落とす(殺す)場面がありました。

先生の手で首(頸動脈)をキレイに掻っ捌かれた鶏は切り口から鮮やかな赤い血を流し、程なく絶命しました。

私は流れ出る血が苦手でして、それを見てぶっ倒れました。

絶命するほんの少し前に最後の力を振り絞ったのかあるいは反射かわかりませんが、バタバタと大きく羽ばたいた鶏の姿が今も目に焼き付いています。

鶏も豚も牛も、食肉するならば殺した後しっかり血を抜かないといけません。

血抜きをしていないお肉は鉄臭く、とても食べられたものはありません。普段スーパーで購入しているお肉も焼肉屋で出てくるお肉も、誰かが必ずこの工程を行ってくれています。畜産に携わったことがある身としてはそのことだけは知っていてほしいと常々思っています。

ちなみにその日の晩御飯は鳥の唐揚げでした。晩御飯を見たときの皆の「えっ…これまさかあの鶏…?」的な雰囲気が今でも忘れられない、仲間内で集まるとなにかと思い出すある意味伝説のメニューです。

私たちは日頃簡単に鶏肉を始めとしたお肉を食べていますが、命が食べ物になる瞬間を見てきた人間としては「そのお肉は全部生きた鶏(動物)だったんだよ」って声を大にして言いたいです。

だからと言って私は肉食反対ではありません。むしろ焼肉大好きお肉大好きです。お肉に関しては命を提供してくれる動物たちと育ててくれた人、捌いてくれた人に感謝していただきますとごちそうさまの精神を忘れず、ありがたく食べることが一番大切だと思います。お肉は美味しいですから。

実験動物を多く手にかけた大学時代

大学時代の自分と研究室の仲間の実験でミニブタとヤギを殺しました。

特にミニブタは自分の卒論に使っていたので数日に1回採血を行い、最終的には自分の手で何頭も殺しました。内臓(主に精巣や卵巣)を観察したり標本にしたりするべく、動脈に薬を流し込んで薬殺しました。

ブタはヒトと違って皮膚と脂肪が厚すぎて目視で血管が確認できません。また同じ理由で脈も取りづらいため、半ばヤマカンで注射針を刺して血管を狙います。来る日も来る日も豚に注射針を刺し続け、最終的には大体当てられるようになったのですが慣れるまで大変でした。

まだ不慣れだった時に子豚の採血を行い、刺した注射針が血管を突き抜けて気管に穴を開けてしまったことがあります。その結果気管に血が流れ込んでしまい、結果子豚を自分の血で窒息死させてしまいました。

その子はとても可愛い子豚でした。生かすべき命を消してしまった自分への憤りと豚への申し訳なさ、悲しさでしばらく落ち込みました。それでも時は止まってくれないのでまた同じことをしてしまったらどうしよう、という恐怖と不安と戦いつつも採血をする日々を過ごしました。

たくさんの豚をお肉にするために育てた養豚時代

大学卒業後1年弱養豚業に従事していました。子豚が産まれてある程度大きくなるまで育てる部署にいたため、毎日豚の生き死にを見ました

1頭の母豚からは大体10匹の子豚が産まれます。養豚業においては母豚が子豚をたくさん産めば産むほど、子豚が1匹でも多く生き残って大きくなればなるほどお金を稼ぐことができます。

養豚業の従業員としては子豚を1頭でも多く大きくしたかったのですが、悲しいことに母豚はよくよく子豚を潰して殺してしまいます。豚は体の作り上ゆっくりと横になることができず、寝転がる時は倒れるような勢いで横になるためよく体の下に子豚を敷いてしまうのです。こういった死に方を「圧死(あっし)」と呼びます。

朝出勤すると子豚が潰れておせんべいになっているのは毎日のことであり、圧死がない日の方が珍しいくらいでした。恐ろしい話ですが、日常茶飯事すぎて圧死体がごろごろしていることにあっという間に慣れます。

また奇形や虚弱すぎる子豚はお金にならないため、早い段階で間引きます。私が現場にいた時は4つの足先すべてに蹄が全くない奇形の子豚や、生まれつきガリガリでどうにも手の施しようがない子豚を見ました。

間引く際はビニール袋にドライアイスと子豚を入れ、酸欠にして落とすのが手を下す方にも豚にも苦痛が少なくて良い理想の方法です。

ですが忙しい現場でドライアイスを用意するのは正直現実的ではありません。

なので実際は子豚の後ろ足を掴み、鉄棒に頭を打ち付けて殴り殺していました。

豚を即死させるために打ちつけるべきところをピンポイントで狙い、打ち付けなければなりません。それは初心者にはとても難しいものでした。なかなか死なない、死ねない子豚の足を握りしめて、泣きながら何度も腕を振り下ろしました。

生まれて間もない子豚の肌はつるつると滑ってしまい、小さな小さな後ろ足なのに思いっきり力を入れて握りしめる他ありませんでした。ごめんね、ごめんね、苦しいよね痛いよね、本当にごめんなさい…と思いながらも仕事と割り切るしかありませんでした。豚たちに恨まれても仕方ないことをたくさんやりました。

自らの手にかけずとも、大きくなった豚たちを最終的にトラックに詰め込んで屠殺場に送りました。お肉用の豚は体重が100キロほどになる、生後半年程で出荷されます。たった半年の命です。豚たちはトラックに乗せられるときに何かを悟ってか非常に嫌がります。

最初は胸が痛んで仕方ありませんでしたが、それも段々慣れてしまうんですよね。そんな環境の中にいた私は直接的にも間接的にもたくさんの豚を殺しました。今まで一体どれだけの命をこの手にかけたんだろう、ごめんなさいと言えばいいのか、あるいはありがとうと言えばいいのか、私にはわかりません。

どんな人も一度は動物の命が消える瞬間を見たほうがいいと思う

と殺の現場は残酷かもしれない、グロテスクかもしれない。

けれどどんな人にも一度、その現場を見て欲しいと思っています。そうすればお肉とはどんなものであるか、どんなありがたいものであるか、そして決して残してはいけないものだということが身に染みると思うからです。

生き物を刺したらどうなるのか知っていれば、簡単に人が人を刺してしまうような事件も減るのではないかとも思います。それとも逆に人間も刺してみたいとかもっと血が見たいとか思ってしまう、サイコパス的な方が増えてしまうのでしょうか。

おわりに

日々生き死にを目にする立場にいて、思うことがたくさんありましたので長々と書いてみました。

以前は養豚業に携わっていたとか実験動物を扱っていたとか、あるいは動物を手にかけていたと言う話をしても有難いことに「そういう人がいるからお肉が食べられるんだね」とか「そういった背景があって薬や学問が発達しているんだね」とかプラスの方向に取ってくれる方が多いです。

ただ時折「そういう話は聞きたくない、残酷だ」と言う方もいます。残酷かもしれない、あんまり聞きたくない話かもしれない。だけどできれば、お肉を食べる以上その背景も知っていて欲しいなと思うのです。

お肉に足が生えて牧場を歩き回っている訳じゃない、切り身が海を泳いでいる訳じゃない、スーパーで白いトレーに乗せられきれいにパッキングされたお肉もお魚はみんな元は生きていた動物です。牛も豚も鶏も魚もみんな生きていたのです。どうか、どうぞそのことを忘れない下さい。

お肉もお魚も美味しいので大いに食べて下さい、ただできれば「いただきます」「ごちそうさま」の言葉を添えてあげて下さい。もうこの世にいない彼らには届かないかもしれないけれど。

今日はここまで。

動物の命の重さは平等なんかじゃない、一動物園飼育員の悲しみ三日月(@trickwolves)です。 今回の記事では動物園にいる動物でも「命の重さ」が平等ではない、命の重さとはなんだろう…と...
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三日月
静岡県在住のフリーライター。サプリメントや動物、オタク業界に強いアラサー♀。お仕事の依頼や問い合わせはお問い合わせフォームからお願いします。
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