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動物の命の重さは平等なんかじゃない、一動物園飼育員の悲しみ

三日月(@trickwolves)です。

今回の記事では動物園にいる動物でも「命の重さ」が平等ではない、命の重さとはなんだろう…ということを考えていきます。



動物の死を公表しない動物園が存在する

私の務めている動物園では、基本動物が亡くなったことを公表しません。

園の一飼育員である私はこんなのありえない、あってはいけないと思っています。同僚も同じく、あってはならないと思っています。ただ、現状は動物が亡くなったことをほとんどの場合で隠しています。

上司がいうには「お客さんに亡くなった子のことを聞かれたら言えばいい、自分たちから言う必要はない」とのこと。

なぜなら

  • 1回2回園に来だだけの人をはじめして、ほとんどの人はしばらくすればその子のことを忘れるから
  • 亡くなったことを公表することで、「世話が不十分だったのではないか」とか「不衛生な環境だったのではないか」とか変な話になる方が面倒だから

そんなのっておかしくないですか…?

動物園って、こんなので良いのでしょうか…?

「動物園動物の命の重さ」には大きな差がある

人間でも動物でも「命の重さに差はない」とか「みんな平等」だとか言いますが、そんなのはただの綺麗事でしかない、と私は思います。

なぜなら暗黙の了解ながら、動物園では明確な命の重さの差が存在するからです。

ここから命の重さが軽い、中くらい、重いの順に該当する動物とその現状を説明していきます。

命の重さが軽い動物:ウサギやモルモットなど

まずは命の重さが軽い動物について触れていきます。

ふれあい動物園にいるよくいる、モルモットやウサギ、セキセイインコの命は動物園にとってはとてもとても軽いものです。

ふれあい動物たちは本人たちが望まないと(思われる)ふれあいという仕事を課せられ、毎日ストレスと疲労を感じているにもかかわらず(他の園ではどうかわかりませんが、私のいる園では)基本病気になってもろくな治療をしてもらえません

理由は簡単、治療するより購入する方がはるかに安いからです。

モルモットもウサギも5000円あれば購入できますが、病院にかかれば1回の診察・治療でそれ以上の費用がかかります。お金のない動物園にモルモットやウサギを治療する余裕なんて、必要なんてありません。これが現実です。

命の重さが中くらいの動物:ライオンなど

次に命の重さが中くらいの動物について触れていきます。このくくりに入れられるのはライオンあたりでしょうか。

ライオンを野性から入手しようとすれば、莫大な費用と時間がかかります。しかし国内の動物園ではライオンの数が増えすぎて、また血統が定かではないライオンが増えすぎて、受け入れ先に難儀することもあると聞きます。

全国のサファリパークでよく「赤ちゃんライオン誕生!」と銘打ち、客寄せパンダ的にお客さんを呼ぶ広告を目にします。しかし彼らは猛獣であり、ある程度大きくなったら写真撮影もふれあいもできません。子ライオンが大きくなってしまったら新たに子供を産ませる…そして数が増える、という悪循環が繰り返されています。

命の重さが非常に重い動物:パンダなど

命の重さが重いのは誰もがご存知でしょう、ジャイアントパンダです。

上野動物園のリーリー・シンシン・シャンシャンの命の大切さといったら、ふれあい動物園にいるモルモット1匹の命の重さとは比べることすらできないでしょう。

彼らの日常はちょっとしたことでもニュースになり、テレビや紙面を飾り、世間を賑わせます。和歌山のアドベンチャーワールドにはたくさんのジャイアントパンダがいますが、その存在すら知らない方も多いのではないでしょうか。

日本全国にある動物園で日々色々な動物が生まれて、死んでいます。

ただピックアップされないだけ、注目されないだけ。ほとんどの人が知らないところで、目に見えないところで、日々壮絶な命のドラマは繰り返されて続いています。

動物園は必要な施設なんだろうか

動物園はさまざまな役目を担っている、とされています。さまざまな考え方があると思いますが、私が思う動物園の役割は以下の通りです。

  • 野性下で数が減ってしまった貴重な動物を維持・管理・繁殖させ、絶滅を防ぎ遺伝子の多様性を保つこと
  • 日頃目にすることができない動物たちの姿を見てもらい、それらを通じて命の大切さを人々に伝えること
  • レクリエーション施設として、人々に安らぎや楽しみを提供すること

そして「日頃目にすることができない動物たちの姿を通じて命の大切さを伝えること」を動物園の役割として考えると、その舞台となる動物園自体が命の重さを明確に使い分けていることにひどい矛盾を感じます。

正直なところ日本の動物園は娯楽施設としての色が強く、動物のためという大義名分はお飾りでしかないように感じることが多いです。少なくとも私のいる園で動物を繁殖させるのはただその血を絶やさないため、展示動物を減らさないためでしかありません。

どんな大義名分を振りかざしても、動物園の本質は「人間の人間による人間のための娯楽施設」でしかないのかもしれません。

動物園はもっと少なくてもいいのかもしれない

動物と触れ合う経験は子どもの情緒的な面の発育を促し、その子の人生にとってプラスになることだと思います。動物とふれあえる環境・施設があることは素晴らしいことだとも思います。

ただお金がない動物園や動物関連施設が多いことは、動物にとっては決してプラスにはなりえないとも思います。現在の日本の環境ならば、もっと動物園自体が少なくても良いのではないでしょうか。

海外の動物園と提携して動物の研究や維持繁殖を行っている、よこはま動物園ズーラシアのような施設は増えてほしい。しかし研究もなにもしていない、ただの観光施設としての動物園なんてもっともっと少なくても良いと思います。

私は長年動物園で働きたい!という夢を見ていた人間です。そんな人間が言うのもなんですが、理想と現実の差に、悲しい現実に直面して、心や夢が萎びていくのを感じる今日この頃です。

元動物園飼育員から動物園好きの皆様へお願いしたい、動物福祉に関すること三日月(@trickwolves)です。 昨日NHKラジオ第一放送にて、「畜産と動物福祉 あり方が問い直されている」という非常に興...
地方臨時職員の動物園飼育員を辞めました三日月(@trickwolves)です。 2018年10月31日をもって、1年勤務した地方の動物園を退職しました。4月に転職活動を...
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三日月
静岡県在住のフリーライター。サプリメントや動物、オタク業界に強いアラサー♀。お仕事の依頼や問い合わせはお問い合わせフォームからお願いします。
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