現在の職場には本当に仕事ができないタイプの人がいます。
本人の努力とか周りの教え方の問題ではなく、本人がもっているものの問題なんだろうなぁと思う今日この頃です。
人が元々持っているものは違うように思う
頭が良いだの悪いだのと良く言いますが、頭の良し悪しにも生きる過程で学ぶことにより身につくもの(これを学力というのだろうか)と生まれながらに元々持っているものがあるように思うのです。
学力を狭義に捉えれば、学校教育(就学前教育・初等教育・中等教育・高等教育)によって修得した能力とされるとともに、学校教育によって得ていなくても学校教育で得られる能力と同質のものも学力とされる。
引用元:学力 – Wikipedia
同じ教育を受けた人間が全く同じ学力になるかといえばそんなことはないですよね、同じ教員が同じ授業をしても受け取り手である生徒の器やら能力やら気力やら相性やらによって生徒の勉強的な意味での学力は大幅に異なりますもんね。
職場の仕事ができないタイプの方は学校的な学力よりなにより、後者の元々もっているものの方が一般的な仕事に適用できないものであるように見受けられます。
学生の頃、特に義務教育の頃は何をするにも1から丁寧に教えてくれたように思うのでうすが、いったん社会に出ると仕事というものはあんまり1から丁寧には教えてくれないんですよね。お金を払う側からお金を支払い生み出す側になるから当然と言えば当然なんですけども。会社でも教えてくれるっちゃ教えてくれるけど2度も3度も聞くと嫌な顔されたり怒られたりしますし。
とはいえ多くの人は怒られないようにメモをとったり勉強したりして少しずつ自分の中に経験値を積み重ねていって少しずつ大きくなっていくものですが、メモをとっても何をしてもどうしてもそれが上手くいかせないタイプの人もいるようです。
職場の人はだいたいこんな感じ
- 常に人の顔色を窺っている(それが明らかにわかるのでこちらも疲れる)
- 一度注意を受けると注意を受けたことに落ち込み今まで出来たことすらできなくなる
- イレギュラーな自体が起きるとパニックになってしまって何もできなくなる
- 「適当にやっておいて」などのあいまいな指示に対応ができない
このあたりを考えるともしかして軽い発達障害があるんじゃないかな?と思っていたりします。
ちょろっと調べてみた範囲ですが、感じ的にADHDの「不注意優勢型」に当たるように見えます。
発達障害とか精神的な病とかは気のせいだとか気合いでなんとかなる!と言われたりしがちですが気合いでなんとかなる領域を超えてしまうものも多々あると思うんですよね。本人が自分の出来ない部分は自分の特性であって、自分の努力でなかなかすぐにどうにかするのが難しいこと、自分の努力不足で上手くできないわけでは無いことを知るだけでも随分と救われる部分も多いと思うのです。
…とか言いつつその人は職場では私より先輩なんですけども、私から見てもあまりにもアラが多くて仕方ないと思いつつも私もちょいちょいイライラしてしまっています。良くないですね…。
色んな人がいることを受け入れられるゆるくてひろーい心を持ちたいものです。