道化鴉

日々生き方を模索しているオタクコスプレイヤー、アラサー♀のお仕事・動物・心理学に関するブログです。(認定心理士取得予定)

迎えに来てくれる人がいる人が羨ましいと言う話

私は世間一般でいうオタクです。それもガチのやつ。


オタクは世間一般のイメージと異なり、交友関係が広い人が結構います。


何故なら

  • 自分の好きな作品について語り合いたいと思ったらその作品が自分と同じレベルで好きな人を探す必要がある
  • 自分が好きな作品のコスプレをしたいと思ったらその作品のコスプレイヤーがいるところに行く必要がある
  • 好きな作品のイベントがあればその都度全国どこにでもいくから などなど

特に地方民はフットワークが軽い人が多いものです。


私も静岡住みの地方民ながら友人は全国あちこちにいますし、それなりに交流している人が多い方だと思っています。ありがたいことに突発で関東圏に行ったとしても大体誰かしら夕飯に付き合ってくれるくらい友人がいます。良い人に囲まれているのが私の自慢です。


そんなこんなで良く友人らと遊ぶのですが、そんな中でいつもびっくりすることがあります。なんてことと言われてしまえばその通りなのですが、みんな遊んだ帰りに誰かが迎えに来てくれるんです。

迎えに来てもらうという選択肢がある人生だったら良かったななんて

私は中学生くらいからずっと、ほとんど誰かに迎えに来てもらったと言う記憶がありません。


片親ですし弟は障害者なので迎えに来てくれるとしたら母親しかいないのですが、迎えに来て欲しいと口に出したこと自体ほとんどありません。行った先が学校であろうと塾であろうと遊びであろうと仕事であろうと、雨の日も風の日も台風の日も雨ニモマケズ風ニモマケズ、大体自転車と徒歩と車で自力で帰宅しながら今日という今日まで生きてしまいました。


特に「遊びに行くならば行きも帰りも自己責任の元行く」という考えが自分の中では当たり前でした。学校や仕事であればあるいは余程の事情があったら迎えに来て欲しいという可能性はゼロではありませんが、遊びであれば事故にあっても事件にあっても自力で動けるならば自力で帰ってくるつもりで生きてきました。


そんな考えが自分の中に全く意識しない状態で根付いていたことに「帰りは迎えがくるんだ」という友人の言葉を聞いて初めて気づきました。覚えていないだけで小さい頃に何か嫌な思いでもしたのでしょうか、自分でも何故こんなに”家に帰る”ということに関して人を頼れないのか不思議です。同時に”迎えに来てほしい”という部分に妙な執着を覚えるのもひどく不思議です。過去の私に一体何があったのでしょう。


友人らを見ているとああいいなぁ、私も誰かに迎えに来てほしいなぁ…といつもとても羨ましい気持ちになります。かといって結婚したいとは思わないので私は一生この足をもって家から出て帰ってくることになるのでしょうね。


迎えに来てくれる人がいるのは多分きっと、当たり前のことではありません。そんな人がいるならば是非是非、大切にしてあげて下さい。感謝の気持ちと言葉を忘れずに伝えてあげて下さい。迎えに来てくれた人は貴方のありがとうの一言だけでもきっととても嬉しいと思うのです。


ああ、ハウルの動く城みたいに家が動いてくれてついでに迎えにきてくれたらいいのにな。


[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

ハウルの動く城 [ 倍賞千恵子 ]
価格:4069円(税込、送料無料) (2018/6/21時点)